音楽療法とカウンセリング2
ブライアン・エイブラハム先生の公開講座の続きです。
じゃあなんで学んでるの?とツッコミが入りそうですが、私はカウンセラーとしてはとても向かない人間です。
だからこそ修行のようにやっているのかも(ただのマゾ)
なぜかというと短気(待てない)、喋りたがり(黙っていられない)だからです。
カウンセリングの練習をするときも、相手が長い間黙ってしまうと体がモゾモゾしてきて、思わず声をかけたくなってきます。
でも相手には黙って考える必要があるから沈黙している(別の意味の沈黙もあるけど)ので、そこは相手に委ねて待つ必要があるんです。
沈黙を待てない自分をもてあまし始めると、それこそ相手のことなんて考えていられなくなってしまい、とてもカウンセリングをできる心境ではなくなります。
それじゃあカウンセラー失格です。
沈黙をどうやったら待てるのか、これは私の重要な課題でした。
先日のエイブラハム先生の講義の中で、「音楽療法と言っても、必ずしも音を出さなくてもいい」とおっしゃっていて、それが私の課題解決につながりそうです。
エイブラハム先生は「沈黙も音楽だ」と言っていました。
絵画や造形などは作った作品が残るけれど、音楽やダンスはそれが残らない。
ということは音楽とは時間であるということ。
だから、そこに共有しているという意識があれば、音がなくても音楽なんだと言うのです。
つまりクライアントは沈黙という音楽を奏でているのだと。
私にはそれまで沈黙が音楽なのだという認識はなかったんですが、クライアントが目の前で「沈黙という音楽を奏でている」と考えたら、その時間を持て余すことなく待つことができるのではないかと思うのです。
実際に師匠が講義をしている「エンデのモモに読むシュタイナー哲学」という講座で、受講生が沈黙をしてしまう場面がありました。
その時も音は出ていないけれど、その人は全身で今にも泣きだしそうな音楽を奏でているのを感じ取ることができました。
改めて、エイブラハム先生の講座を受けてよかったと思うと同時に、私にとって音楽とは切り離しがたいものなのだということも分かりました。
次回のゲイリー・アンスデル先生の講義は日曜日ということもあって聴きにいけないのが本当に残念。
DVD化しないかな…絶対買うのに。