ゲームやっちゃったよ
交流分析というアメリカ版精神分析の中に「ゲーム」というものがあります。
簡単に言えばお互いが不快な思いをするトラブルのことです。
不快な思いをすることをわざわざ続けるのか?と思うんですが、これがけっこう辞められない。
なぜかというと、ゲームを始めるには「自分を否定してほしい」とか「人を傷つけたい」「不快になってもいいから、人にかまってほしい」などの後ろ向きな欲求を持っているからだと言われています。
なんでこんな話題をしているかというと、自分がやらかしてしまったから。
しかも3年もかけた大掛かりなゲーム。
ちょっとダメージ大きいです。
今回のゲームで私が得たかったのは「頑張ってきたことを評価されない」ということだろうと思います。
何度も母や先生との間でやってきた心の痛みをありありと思い出しました。
単に私自身に向いていないことを私が目指していただけなんですが、その時点ですでにゲームが始まっていたんだと思います。
自分ができることで勝負すればいいのに、自分ができないことばかりをやろうとする。
自分から評価されない方に向かってしまってるんだと気づきました。
そして私が得意なことはみんなが評価してくれているのに、評価されないことばかりをフォーカスして凹んでいる私はすごく歪んでいる部分があるんだと思います。
おそらくね、私は母に何かを認められたかったんだと思います。
それが得られなかったんだろうなぁ。
もうできないことを追いかけるのはやめようと思います。
自分を弱らせるだけだし。
実際ここまでやってしまうと本当にダメージ強くて、だいぶ自己肯定感を失った気がします。
向かないこととはいえ、これまで頑張ってきた自分をねぎらいつつ、自分が今できることに目を向けていこうと思ってます。